「うだつ極楽家」誕生の経緯について
~鎌倉極楽寺の北条重時の想いに重ねて~
当初、この建物は、株式会社アリエスの本業である化粧品販売&エステサービスの店舗候補場所を見つけようとして探し始めたものでしたが、地元の会社さんから教えてもらった2、3箇所をまわり始めた時に、ここの外観風景を見て、一目で気にいった場所でした。
すぐにオーナーさんから鍵を借りて中を見たところ、20年以上も閉まっていたということで、中は埃だらけになっていました。
また、2階の大きな梁の1本が屋根の重みで落ちかかっているのを偶然にも発見して、緊急の応急処理をしてもらいました。
江戸時代末期(嘉永から安政に変わる頃)に建築されたということで、築170年にもなる建造物で何度もの補修・改修をしてきたものと思われます。
うだつの町並みの入り口に最もふさわしい威容を見せていて、傍に立っているだけでも、時の長い歩みを実感できる場所でした。
ちょうどこの時期、美馬で初開催のアートフェスティバルの企画を進めていて、ここをフェスティバルの主会場のひとつに使えそうだと分かりましたので、期間中の11月1ヶ月だけ貸借して、使い勝手も試すことになりました。
とは言っても、建物は外も中も相当傷んでいるので、まずはフェスティバル用に最低限の手入れをしなければならず、結果的に内部・外部のクリーニング、建具の補修、電気設備の修繕等で相当の出費を強いられました。裏庭の伸びた草木の手入れも行いました。
お陰様で、美馬アートフェスティバルはここを会場に徳島の若手シンガーソングライターのKEiさんのソロコンサート、桂七福さんの落語、徳島草月流の出村丹雅草先生のりっぱな生け花展も開催、成功裡に終わることができました。
そして、今後毎年度続くフェスティバルや各種イベントの会場として使っていくのであれば、都度賃借するよりも自己所有したほうがいいのではと考えるようになりました。
その方向でオーナーさんの意向を聞いてもらうと、今後も住んだり利用することもないということで、すぐに売買交渉できることになった次第です。
提示された価格は路線価を基準に算出した額で大きな金額ではありませんでしたが、本物件が重要伝統的建造物であるため、将来的に多額の補修費用(おそらく1回につき1千万円くらい)が必要となること、それも1回切りでなく、建物が続く限り永続的にかかるであろうことは覚悟しなければなりません。
しかし、このこと自身がアリエスが2022年に始めた「たち風プロジェクト」の事業課題でもあれば、本事業が続く限り世代が変わっても取り組み続けられるであろうことから、決意は簡単でした。
仲介してもらう不動産屋さんに話を伝え、2023年12月下旬に売買契約を済ませ、年明けに手付金を払い、2月7日に残金の決済を終え、売買が完了した次第です。
この地と建物は、歴史が続く限り守り抜きたいと思っています。
因みに、この建物の名称「うだつ極楽家」は他のところでも述べましたが、鎌倉の江ノ電の駅名にもなっている「極楽寺」に因んだものです。
穴吹の三谷城城主ともなった塩田北条氏の祖先で、時の鎌倉幕府の執権北条義時の子北条重時の時代に、度重なる自然災害や疫病が続いた世にあって、民の安寧とこの世の極楽を願って創建したのが極楽寺でした。名前とは違って、小さく鄙びた寺は私の好きな場所のひとつです。
奇しくも、この2024年2月14日に三谷城址記念碑を設置したと同じ年、同じ月に、この「うだつ極楽家」を持ったということは何かの巡りあわせでしょうか。
この後、ここ「うだつ極楽家」で開催されるイベントやアリエスが提供するサービス事業を楽しみにしていただければ幸いです。