徳島県美馬市の「三谷城址保存プロジェクト」のイメージ動画もつくってみました。三谷城のある三島三谷地区から吉野川のほうに下っていくと舞中島という地区があって、ここは昔、吉野川の氾濫に伴う肥沃な土壌を利用して藍づくりが行われ、脇町の藍産業の原料供給地の役目も担っていたと伝えられています。
この舞中島の吉野川寄りのところに、三谷城の城主で、鎌倉北条家の末裔である塩田氏の居館があったということですが、土佐の長宗我部元親の軍勢に攻められ脇城、岩倉城とともに落城したすぐあとの1582年に、ちょうどこの地域に川の流れを変えるほどの大洪水があったと記録されています。当時はどんなにたいへんな時代だったのかと想像されます。